自省録

慶應義塾大学法学部法律学科に在籍中。スペイン サラマンカ大学にて法律を専攻。 英語,スペイン語,日本語,三河弁のマルチリンガル。 趣味は語学学習、ダーツ、旅、道に落ちている珍しいものの写真を撮ってコレクションすること。あとBeReal史上初のガチ勢。このブログはガキの戯言です。全部嘘だとおもって適当に読んでください。コメントもまってるよ。

信じるって何だろう?

こんにちは。タイトルが合唱曲みたいでだるいですね。

思春期りりはひねくれてたので合唱とか嫌いでした。

 

ここ数日本当にいろんな要因が重なり合って疲れ切ってしまっていくつかSNSを消してました。今はちょっと回復したんですけど、これを機に自分と向き合って一個学びというか気づきがあったので自省のために書きます。

 

特定の文脈で、人を信じきるって難しくないですか?

私は高校~大学にかけて大事な人、友人に裏切られてしまったことが数回あり、それがトラウマで人を信用しきれない時がありました。

特に本当に大切にしている人に対しては失うのが怖くて懐疑的になってしまうことが多くて。

そしてそんな自分が本当に嫌で。

でも冷静に考えたら、そのトラウマを与えたのはその人ではなくて、全く他の人なのであって、相手からしたら疑われるのって本当に嫌だし、不快だし、なんで信じてもらえないんだってリスペクトされてない気持ちになるし。本末転倒ですよね。

 

今回分かったのが、多分、「信じれないこと」って完全に自分由来の「弱さ」なんですよね。他人依存のものじゃなくて完全に内在的なものというか。確かにそのトラウマを作った人のせいではあるんだけども、自分自身とはこれからずっと付き合っていかなきゃいけないんだから、乗り超えていかないといけないもので、自分しかそれを克服できない。そして自分のためだけじゃなくて周りの大切な人のためにも克服しなきゃいけないんですよね。

 

だから、2024年の目標に一つ、「大切な人は完全に信じる」を追加しました。

ただただ100%信じ切って裏切られてしまったとしても、「裏切られた」という事実は裏切ったその人の性質によるものであって、自分に不足があったとかそういうことではないし、そもそも自分でどうにかできることじゃないしね。

自分の思う正しい道をまっすぐ進むことが一番後悔がないのかなと思います。

人を信じ切ったという経験が自分の糧になると思うし。

 

私は稀にバカほど病んでしまってその時は本当に本当につらいけど、こうやって一個一個学んでいくことで周りの皆さんの精神年齢に追いついていくのかなと思います。

人生は鬼病みや❕

りりぼん